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サバイバルを続けるアダルトチルドレン

 ※ 『アダルトチルドレンになる仕組み』の続き

 アダルトチルドレンは親に依存したままだと言っても、愛のない親に依存しているため、甘えたり頼るといった状態ではなく、親から否定されるがままに、自分を肯定したくても、それを押し殺さなければならない苦しみを背負って生き続ける。『そうするしか生き残る道はない』と、幼いころに刷り込まれたサバイバルを、意識の及ばないところでアダルトチルドレンは止める訳には行かないのだ。

 その苦しみを表現するとしたら、息を止めてみれば誰もがわかるかもしれない。我慢できるのは精々1分くらいだろうか。そうした窒息寸前の状態に、自分を押し殺す苦しみは似ている。そうした状態を、命がけだからこそアダルトチルドレンは耐えて行ける。

 けれども、それは、愛のない親をつなぎとめるのには有用だったにせよ、自分を認めないことであり、自分を愛せないことであり、自分の幸せを犠牲にすることで、さまざまな弊害を人生にもたらし、アダルトチルドレンは、苦しみに耐えて生き延びたところで、自分の首を絞めるだけ。すべての元凶は、愛のない親に依存しているからだ。

 ついには苦しみの限界を超え、わたしは愛のない親を受け入れることができなくなった。2011年5月に死を決意した。皮肉なことに、生きようとしなければ、幼いころに刷り込まれたサバイバルも放棄することになる。本当の自分を発見できるのである。こんなことがあって良いのか、考えざるを得ない。

 わたしの親は、わたしが自分を肯定できないように、自分を愛せないように、そして親に依存するように育ててきた。いつまでも自分たちの支配下において、自己満足の道具にわたしを使いたかったのだ。これは、明らかに間違いである。間違いは、もう許さない。

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アダルトチルドレンになる仕組み

 (以下、「※親」の文字には、親でなくても養育者の意味も含む)
 アダルトチルドレンになる原因は、まだ自分というものを発見する前の、親に依存しなければ生きられない幼い時期に遡り、親に愛されなかったことに起因する。

 その時期の子供には、自分を映し出してくれる鏡の役目をする親が必要だ。その鏡を見ながら子供は自分というものを発見して行く。鏡は本来ありのままを映し出すもので、つまり、鏡の役目をする親には、全面的な受容(無条件の愛)が必要だ。その鏡が善悪を評価するものだと、子供は自分らしさを見失ってしまう。

 子供に善悪を教えるためには尚さら愛が必要だが、ここで言うのはそれ以前の問題で、『子供がありのままに自分を発見して行くのを、親には手助けする必要がある』ということだ。親に受容される子供は、あるがままに喜びも悲しみも肯定できて、のびのびと自分らしさを発見して行くが、受容されない子供はどうなるか?考えてみて欲しい。

 もし、子供が自分をオープンにしてあるがままであろうとするのを、いつも親から冷たい態度であしらわれたり、否定され続けたとしたらどうなるか? 言うまでもなく、幼い子供であっても痛みを感じる人間だから、寂しい恐いといった感情を親に抱くが、その感情を凍らせ、自分という感覚を麻痺させ、本当の自己の上に偽りの自己を厚くまとって、子供は親の否定を受け入れるのである。

 それは、自分を肯定できなくなるということで、親に合わせて生きるということだ。それは、サバイバル意識でもある。子供は親から無視されても、否定されても、たとえ虐待されたとしても、他に保護してくれる人はいないのだから、その親を受け入れるより他に生き残る道がなく、子供にとっては、親に見捨てられることは死を意味している。

 だから、少しでも波風立てずに平穏な環境でいられるように、子供はサバイバル手段として、親に合わせて生きるようになるのである。サバイバルをかけたこの精神構造は強烈なもので、しかも、人格や情緒などの基礎が築かれる時期に刷り込まれるため、本人には知る由もなく、そのまま大人になって行く。つまり、大人になっても、親に見捨てられないように生きて行く。それが、アダルトチルドレンである。親に依存したままの状態だ。

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前撮り

 娘の成人式用の写真を撮ってきました。親バカなので、大変、美しい晴れ姿だと感心しています。これは自分のデジカメで撮影したものなので、かなり質が落ちますが。すごく良い着物だと褒められて、わたしが着たものですが、自分のときには何も感じなかったのに、今になって親が思いを込めて買ってくれたことを考えたりして、感無量でした。









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2か月ぶりの更新

 あれから、仕事も、犬のことも、生活全体に変化がなし。やる気がなくなった。それでも生活できる分だけは父に養ってもらっている。そうなった。

 犬のこと。モグりんの里親さんからは結局、連絡がなくて、そのまま我が家で飼っていて、親からいつ文句が来るかと心配だけど、今のところはセーフ。モグりんは、すごく大きくなって、写真は少し前のもので小さいけど、ママと一緒。こうした幸せそうな様子を見ることだけがわたしを癒す。



ももちゃんも一緒だよ。ジュジュを子分だと思っている。

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